Feekazi

たとえばこんな沖縄暮らし

月命日

最愛のフェレットペリドットペッシが星になってから、
今日で丸一カ月です。

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最期の日に撮った3枚の写真を掲載します。大好物のミルクを飲んでくれたこの時は、まさか明日にはもういないなんて思いもしませんでした。

 

この日はたまたま仕事が休みで、私は家にいました。

この半月ほどで急に衰えたペッシは、後ろ足が立たなくなって、
前足だけで進んでいる状態。

 

それでも良く食べ、良く寝ていて
まさか、その日がこんなに早く来ようとは思いもしなかった。

 

*****

 

数年前、ペッシが原因不明の体調不良で体重が半減し、
痩せ衰えて、いつ死んでもおかしくない様子だった時

その時、かかりつけの動物病院で言われたのは、
「うちはフェレットの専門ではありませんよ」ということ。

 出来ないことは出来ないと言ってくれるのを、
私はとても誠実だと思ったし、今でもその気持ちに変わりはありません。

 

2軒目の病院でも同じように言われましたが、
一応診て頂いて、初めに処方された薬では改善がみられず

2度目の薬は運よく聞いたのか、劇的に良くなりました。

 

少しずつ食欲が戻ってきたペッシを、腕に抱えて朝に夕に、
ぬるま湯でふやかしたフェレットフードと、ミルクをシリンジ(注射器)で、
時間をかけて食べさせるのは、幸せで愛しい時間でした。

 

でも、その時少し気になることがありました。

 

ペッシは死の波に、乗りそびれてしまったんじゃないか?

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トイレに間に合わないことが多くなった晩年のペッシ。この日、どこで粗相しても良いように、部屋中にペットシーツを敷き詰めたのでした。

 

これは私の勝手な見解、というか死生観なのですが

 

誰にでも最適なタイミングで訪れる「死の波」があって

 

その波に上手に乗れたら、苦しまずに
逝くことが出来るんじゃないかと、つねづね思っているのです。

(私も経験があるし、ペットの闘病を否定しているわけではありません)

 

食欲がなくて、徐々に弱っていくという方法は、
数ある死の中でも、ずいぶんと穏やかで優しい死に方だったのではないか?

 

私は上手に死にゆくペッシの、邪魔をしてしまったんじゃないか?

 

私は自分の最期は、誰にも邪魔されず、
静かにすっと、死の波に乗りたいなんて思っていたのに

大切なペッシを、自分が寂しいからというだけで、
無理に引き留めてしまったんじゃないか?

 

この先、ペッシが何か苦しむようなことがあったらどうしよう。

 

あの時、死ねていたら
ずっと楽で良かった、なんて思う日が来たらどうしよう。

 

そんな不安がずっとありました。

 

*****

 

でも、幸いにして「優しい死」は、やはり寄せては返す波のように、
もう一度ペッシのもとにやって来てくれました。

  

今度は迷わず、送り出してやれました。 
ペッシは穏やかに、眠るように逝きました。

 

 

 

もちろんその後、ドロドロに泣いたけど

 

今も思い出して泣くこともあるけど

 

7年半は、そう短い年月じゃない。

 

 

 

ペッシに起こった、何もかもを否定したくないから、
それが死でも受け入れる。

 

 

 

本当に今までありがとうペッシ。

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ずっと大好きだよ。