月命日
最愛のフェレット、ペリドットペッシが星になってから、
今日で丸一カ月です。
この日はたまたま仕事が休みで、私は家にいました。
この半月ほどで急に衰えたペッシは、後ろ足が立たなくなって、
前足だけで進んでいる状態。
それでも良く食べ、良く寝ていて
まさか、その日がこんなに早く来ようとは思いもしなかった。
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数年前、ペッシが原因不明の体調不良で体重が半減し、
痩せ衰えて、いつ死んでもおかしくない様子だった時
その時、かかりつけの動物病院で言われたのは、
「うちはフェレットの専門ではありませんよ」ということ。
出来ないことは出来ないと言ってくれるのを、
私はとても誠実だと思ったし、今でもその気持ちに変わりはありません。
2軒目の病院でも同じように言われましたが、
一応診て頂いて、初めに処方された薬では改善がみられず
2度目の薬は運よく聞いたのか、劇的に良くなりました。
少しずつ食欲が戻ってきたペッシを、腕に抱えて朝に夕に、
ぬるま湯でふやかしたフェレットフードと、ミルクをシリンジ(注射器)で、
時間をかけて食べさせるのは、幸せで愛しい時間でした。
でも、その時少し気になることがありました。
ペッシは死の波に、乗りそびれてしまったんじゃないか?
これは私の勝手な見解、というか死生観なのですが
誰にでも最適なタイミングで訪れる「死の波」があって
その波に上手に乗れたら、苦しまずに
逝くことが出来るんじゃないかと、つねづね思っているのです。
(私も経験があるし、ペットの闘病を否定しているわけではありません)
食欲がなくて、徐々に弱っていくという方法は、
数ある死の中でも、ずいぶんと穏やかで優しい死に方だったのではないか?
私は上手に死にゆくペッシの、邪魔をしてしまったんじゃないか?
私は自分の最期は、誰にも邪魔されず、
静かにすっと、死の波に乗りたいなんて思っていたのに
大切なペッシを、自分が寂しいからというだけで、
無理に引き留めてしまったんじゃないか?
この先、ペッシが何か苦しむようなことがあったらどうしよう。
あの時、死ねていたら
ずっと楽で良かった、なんて思う日が来たらどうしよう。
そんな不安がずっとありました。
*****
でも、幸いにして「優しい死」は、やはり寄せては返す波のように、
もう一度ペッシのもとにやって来てくれました。
今度は迷わず、送り出してやれました。
ペッシは穏やかに、眠るように逝きました。
もちろんその後、ドロドロに泣いたけど
今も思い出して泣くこともあるけど
7年半は、そう短い年月じゃない。
ペッシに起こった、何もかもを否定したくないから、
それが死でも受け入れる。
本当に今までありがとうペッシ。
ずっと大好きだよ。