Feekazi

たとえばこんな沖縄暮らし

忘れえぬ演舞

エイサーシーズン到来!

 旧盆に県内各地の青年会や同好会で演じられる、琉球伝統舞踊「エイサー」。

大太鼓やパーランクー(小太鼓)を振り回し、
激しく悠然と繰り広げられる演舞は

今はやりの「草食系」を微塵も感じさせない、雄雄しさで胸が高鳴ります!

www.zentoeisa.com

 

沖縄の言葉では、胸が高鳴る事を「ちむどんどん」と言うのだけれど

エイサーの太鼓の音に合わせ煽られて、心臓(ちむ)が
「ドン!ドン!」いう感じは、まさに体感できる言語です。
(ビックリした時の「アキサミヨー!」は、いまいちピンとこないんだけどね)

 

今年はもう糸満の喜屋武エイサーと、
具志頭のぐしちゃんエイサーを観て来ましたよ!

 

*****

 

だけど、私には忘れられない演舞があります。

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 私の住むアパートから程近い、南城市・玉城にあるテーマパーク
『おきわなワールド 文化王国・玉泉洞(以下、玉泉洞)』。

www.gyokusendo.co.jp

 

そこで年中行われている観光客相手のスーパーエイサーが、
私の生まれてはじめて観たエイサーであり

忘れられない、特別なエイサーなのです。

 

*****

 

今でこそ毎日が楽しくて、晴れてるだけでご機嫌な、
こんなお気楽極楽人間の私ですが

 

その昔は、ふざけていても、楽しんでいても

「この楽しさはいつまでも続くものではない」

なんて冷めた考えがつねに付きまとっていて、
訳もなく寂しい気持ちになったりしてた、生意気な子どもでした。

 

 今にして思えば、珍しくもない反抗期や無情観。

若者特有の荒廃的な感傷ですが、その真っ只中にいる頃は
そうとも気づかず、けっこう深刻に悩んでたんですよ。

 

自分の胸には、ぽっかり大きな穴が開いていて、どんなに楽しいことも、
嬉しいことも、すぐにその穴から、ストンと抜け落ちてしまう。

 だから忘れないように、楽しいことは書き留めなくちゃ。
私の執拗なレポート癖は、その頃の名残かもしれません。

その時その時に感じた、幸せな気持ちを忘れないように。

 

*****

 

そんな私が、初めて運命を感じたのが、沖縄との出会いでした。

 

旅行で訪れたその日、空港に降立ち、湿度の高いムワッとした熱気に包まれた
その瞬間から、私の中で何かが変わりました。

 

 私と世間を隔てていた、薄い氷の膜がパリンと割れたような

ずっとザーザー言い続けていたラジオの周波数が、突然ピタリと合ったような

殻をやぶって、新しい本当の自分が生まれてきたような

 

そんな爽快で、鮮烈な体験でした・・・・・・!!

 

*****

 

それからの私は、神奈川に帰ってからもずっと

「沖縄の神様が呼んでる」

と、沖縄に住むことばかりを夢見て過ごす日々。

 

とはいえ、仲良し我が家。

親はもちろん反対するし、私自身も本音では愛する家族と、
海を隔てた遠い島に離れて住むなんて、できるのだろうかと 

初めはだましだまし、お金をためては観光旅行、
お金をためては援農ボランティアと

短期・長期の滞在を繰り返すのが関の山でした。

 

そして、お金をためて挑んだ『糸満自動車学校』での合宿免許。

 

一ヶ月間限定のプチ移住中、ふらっと訪れた玉泉洞で、
その人「やっさん」のエイサーを観て・・・・・・

 本当の本当に、私の心は決まったのでした。

 

*****

 

沖縄の神様が具現化して、目の前に現れたの!」

 

その日は興奮して、合宿所の寮生みんなに言いました。

馬鹿げたことを、と思うかもしれないけれど、
まさにそんな感じだったのです。

 

だって、踊っている時のあの人ときたら!!!

 

やっさんが舞台に現れた時、雷に打たれたみたいに感じて、
それからはもう、釘付け。

 

他の人とは明らかに違う。

 

太鼓を叩く姿は神々しく猛々しくて、バチの角度や所作は繊細で美しい。

並外れた美意識と、それに伴う実力と体力、練習量が、
素人目にもビリビリ感じられて・・・・・・

 

とにかく、もう!もうっ!!
大感激してしまったのでした!!

 

だから、と言ってはなんだけど、玉泉洞から車で数分の
具志頭村(合併前当時)に、のこのこ移住してきた私。

「ファン第1号」を公言してはばからず、
嬉し楽しいエイサー通いは続きました。 

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*****

 

けれど、そんな楽しい日々が、ある日突然の終結

 

「今日、エイサー隊を辞めてきました」
「えっ!?」

 

やっさんがわざわざウチを訪ねて来るから、何事かと思いきや・・・・・・えーっ!?

 

この頃やっさんは、三宅裕司さんがはじめた
『沖縄マルチパフォーマー オーディション』に応募していて、
その現場風景がテレビにも取り上げられるようになっていました。

それを良く思わない人が今の職場の上の方にいて、
だんだん居辛い雰囲気になってきてると聞いてはいたけれど・・・・・・

 

「わざわざ、教えに来てくれたの?」
「………ファン第1号だから」

 

握手して、見送った後、少し泣きました。

やっさんのこれからを応援したいけど、
もう二度とやっさんのエイサーが観れないなんて・・・・・・

 

楽しいことは、やっぱり長くは続かない。
大事なものは、いつか消えてなくなっちゃう。

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 

だけど

 

 

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あれ?

 

 

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不思議なことに、私を長年苦しめていた、
あのぽっかり開いた、冷めた嫌な穴が

 

 

なぜか

 

 

なにかで満たされたように、跡形もなくふさがっていたのでした。